menu

"etc"
様々な視点から覗いた、画廊や作家たちについての読み物です。


aboutsite
shop



【21】■マリリン97万8千体(その1)
青木外司


■スズキシン一氏の画業について

「モンロー描いて100万体」とNHKのTVや民報TVと度々取り上げられて話題を呼んだスズキシン一氏が病に倒れこの夏天国に旅立った。

平成2年の1月元旦より世界最大の手漉き和紙7.10mx4.35mにマリリンマンダラ100万体の制作を開始して10年、完成を目前にしての悲報であった。

目標の100万体完成に全身全霊を打ち込んでいた氏の姿は一人の画家というより修行者の如く、比叡山の千日回峰を思わせる超人的なアタックであった。

満願の暁には阿闍梨となって私共に祝福を与えてくれると期待しつつ完成を祈っていたのであった。モンローの命日は8月5日、スズキ氏は奇しくも1週間後の8月12日となった。嗚呼。


マリリンマンダラ100万体-制作中のスズキシン一氏
【21】■マリリン97万8千体(その2)
青木外司■スズキシン一氏の画業について■


古来9百99本目とか目標に今一歩という数字の物語や逸話が多いけれど100万体に今一歩の97万8千体という数はまさに劇的であり無念の極みであろう。

この膨大な数の裸体の美女は一々数える訳には行かないのだがスズキ氏は永年描き込んだマリリンの数を毎回正確に「正」の字で別の和紙に記録し、正ちゃんマークと称し何月何日、現在何万何千何百と几帳面に書いておられた。その和紙がお経の様であり現代美術の様にモダンでもあり壮観であった。筆者は初期の30万体位の頃、一枚コピーしてもらい氏の個展のカタログの表紙に使ったことがある。

教王護国寺の国宝曼荼羅は周知の如く両界曼荼羅といって金剛界と胎蔵界から成っている。

スズキ氏のマリリン・マンダラも本体の画像の大作に正ちゃんマークがあって一体となる。正の字が20万字になった時こそ100万体の満願の時であった。


曼荼羅の数を記録する正ちゃんマーク
【21】■マリリン97万8千体(その3)
青木外司■スズキシン一氏の画業について■


スズキ氏の遺作となったマリリンマンダラは巨大な一枚の和紙に細密の裸婦を隙間無く何千何万と描き込むのだが中心より外側に遠心力の如く米粒の様に小さくなる。

以前はドイツ製のジロット・ペンを裏返しに使い0.01ミリの線をもってモンローを描いたのだが今回は毛筆を使い、紙の表面を瑪瑙で磨きながら墨で線描きをしている。ルーペで見るとその密集した一体一体の美女に女性のシンボルが描きこまれているのが判る。

大画面に極小の裸婦が群がっている作品だから全体の写真は撮影不可能で,画面の一部しか写せない。しかも巨大な紙だから額にも入らず枠を組んで張りこむと云う訳にも行かず、巻いてどこか広い所へ運びひろげて見る事しか出来ないのだ。

無数の美女は雲や霧と化し、極限は白紙となる。 前回は正ちゃんマークを拡大したのだが今回はマリリンを顕微鏡的に見て欲しい。


【21】■マリリン97万8千体(その4)
青木外司■酒盃-伊万里ン-■


スズキ氏に関する息抜きのエピソードを紹介しよう。三鷹にある有名女子高の美術教師を勤めていた氏は週末には山梨の家へ帰って百万体の制作に励んだが、ウィークデ-は三鷹、吉祥寺の呑み屋によく顔を出し私も度々連れて行かれた。

「三笠艦」という古道具屋のオカミさんが経営する呑み屋は特に気がおけず自分の家の様に栄養補給もしてもらっていた。私はこの頃池波正太郎の鬼平に凝っていたので氏と時代劇の様に徳利をカウンターに並べて飲んでいた。ここでスズキ氏を口説いてマリリンの盃とぐいのみを作る事を提案、早速私が陶芸の勉強に通って三鷹がよいが始まった。

素焼きの上に本焼き用の顔料と釉薬で絵を描くのが素人には大変難しく何回も失敗を重ねた。幸い新進女流陶芸家、前沢佳子さんが親切に指導協力してくれ、何とか「モンロー入浴図」という様な絵柄の盃が完成し祝杯をあげた。この盃に酒を注ぐとモンローの金髪と乳房が揺れ動き、肉体の精気がこちらに漲るというものでまさに愉快な思い出となった。

箱書きはCMプランナ-で美術愛好家の田中秋男氏が「伊万里ン盃」と命名。これは勿論マリリンと伊万里の合成の洒落で傑作。個展の折に披露した所大好評で、憧れのシンボルは豊穣の女神、地母神となった。


【21】■マリリン97万8千体(その5)
青木外司■酒盃-伊万里ン-■


マリリンマンダラの完成寸前スズキ氏が倒れた事は痛恨の極みであった。勿論本人は死んでも死に切れぬ思いがあったに違いない。

しかしここで見方を変えて考えると、何と幸せな画家の生涯でなかったか。私は前から叡山の苦行僧に例えたが実際当人は楽しく、あの巨大マンダラの雲の上で孫悟空の気分になり、空中遊泳しながら美女達と戯れ情を交わしていたのではないかと思う。

無数の桜の花びらがマリリンモンローと化し乱舞しながら降りかかる。

願わくば花の下にて春死なん
この如月の望月の頃 
                            -西行-

今年3月8日、新宿で開かれたモンローの大写真展に山梨からスズキ氏が出て来られ、「海鮮山鮮」(うみせんやません)という居酒屋で呑んだのが我々仲間との最後の別れとなった。

8月モンロー忌のあと天国に旅立ったのだが、見果てぬ夢を見つつミシシッピー河の外輪船に巨大な越前和紙の曼荼羅を掲げデキシーランドを奏でながら河下りする嬉しいスズキ氏を私は想像している。

(終)


【21】■マリリン97万8千体(番外篇
前澤佳子


左より筆者、スズキ夫人、亀井先生 〈昇仙峡にて)

 

10月31日
あずさ53号 新宿AM9:00発

少し余裕のある車内に、亀井俊介先生、青木外司さん、前澤ヨシコの三人。故、スズキシン一氏へのそれぞれの思いを胸に、甲府までの小さな旅だ。

お伺いしたくてならない私達の気持ちをお察ししてくださった奥様が、「紅葉も見頃です。お出かけ下さい。」と、お誘い下さったのだ。

甲府駅まで迎えにいらした奥様はお元気そうに見えた。良かったと思いながら私は彼女にしがみつくように抱きついた。奥様は私のオーバーアクションを優しく受け止める。外司さんも亀井先生も優しく見つめる。スズキ先生もそうだったっけ・・・・。

奥様の運転する車で、外司さんのカメラのシャッターの音が快調な、絶景「昇仙峡」の紅葉を堪能し、すぐ近くのご自宅へ。そこは、コスモス、ほうずき、まむしの頭(花の名)など庭一面に咲き乱れる、自然に抱かれた別天地だ。

ご自宅の中は、どこもかしこも、先生のマリリンの絵一色の世界。

まずは、40畳のアトリエの中に想い出の品と共に飾られたお写真にお線香をあげる。外司さんも、亀井先生も、涙をこらえておられたが私はだめだ。嗚咽を抑えきれない。優しくして頂いた、おバカな私を可愛がって下さった。やっと、「有り難うございました」と、云えたのだ。

いつものように、奥様のおもてなし料理は温かくて、おいしくて、いっぱいだ。奥様は気丈夫に、変わらぬ明るさで、山盛りの思い出をお話して下さった。亀井先生も外司さんも、思い出話は尽きる事が無い。長い時間がスズキさんで埋め尽くされた。

筆も絵の具も、すぐにでも描けるままだ。「その中から、ヨシコちゃん好きなだけ持っていって。」と云われる。「ただし、絶対に使ってね」とおっしゃる。スケッチブックもと、サラのものを何冊か持ってきて下さった。小さめのスケッチブックを選んで中を開けたら、描きかけのペン画1枚があった。たまらない・・・この線のつづきを引くはずの人が・・居ない。スケッチブックを抱きしめて、泣き始めた私の頭を、奥様は、ポン!とたたいて、「泣いちゃ ダメ!」と、おっしゃり、クルッと後ろを向かれた。 


伊万里ン盃の絵付をする故スズキシン一氏と筆者